「古きを愛する」の意味について
2014年11月23日「素敵な仲間たちと音楽を」プログラムノート全文
ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms (1833/ハンブルク ~ 1897/ウィーン)
カール・ライネッケ Carl Reinecke (1824/ハンブルク ~ 1910/ライプツィヒ)
マックス・ブルッフ Max Bruch (1838/ケルン ~ 1920/ベルリン)
前おき(そして余談)。あくまでも私見ですが、ドイツ人は右脳
と左脳をバランスよく使い分けている、と思うことがよくあります。理論に長けている一方で、ゲーテの文学で始まったと言われる感情表現の風潮。音楽、特に作曲は理論的構築(左脳)と美しい旋律(右脳)というドイツ人の特性が生きるジャンルかもしれません。ただ、真の意味で両脳が同等に働く人間は滅多にいないはずで、そのちょっとしたアンバランスが人間的な味わいや深みを作り出していると思います。
本日登場する3名の作曲家はほぼ同世代で、いずれも古典的
な手法で作曲したことで知られています。ただ、それを文字通りに受け取るには少々語弊があるでしょう。
まず、皆様にも馴染み深いブラームス。ハンブルクの酒場でピアノを弾く仕事に始まり、シューマンとの出会いで道が開け、最終的にウィーン音楽界の重鎮となりました。若い頃の多感な作品はともかく、全般的には既成理論に拠って構築するスタイルを重んじました。その理由の一つには、美しい旋律が創作できないことを悩み、かつてベートーヴェンが行っていた手法=短い音型を理論的につないで旋律様に見せる工夫をしたから、と言われています。右脳がもう少し発達していたら・・・と思ったかどうか。同時代の作曲家で前衛思考のワーグナーと対極にあると評され、自身の思惑外で論争が繰り広げられたほどでした。
ブラームスの音楽から古典的な響きを聴き取ることはたしかにありますが、管弦楽というものがまだ存在しなかった中世音楽の古風な響きをフル編成のオーケストラで聴かすという斬新な交響曲第4番に象徴されるように、彼のアイディアはいつも個性的で革新的ですらあります。彼の「古きを愛す」とは、先達の遺産を大切に守りつつ、さらに発展させることを意味していると思います。
晩年の1894年に作られたクラリネットソナタ第1番は、同2番と共に作曲者自身によってヴィオラ用に編曲されています。本日は原曲のクラリネット版でお聴きいただきます。全4楽章を通じて明確な起承転結が見えます。特に「転」じた瞬間にパッと色彩が変化するところをお聴き逃しなく。ヴァイオリンソナタ第2番は1886年の作で、前年に前述の交響曲第4番を発表し終え、スイスでの休暇中に作曲されたため、いかにもゆったりした雰囲気に満ちていて、α波全開の作品です。
画家や文筆家でもあった多彩なライネッケとその弟子ブルッフは、一言でいえば保守的。長寿を全うした生涯の間に体験した社会の激変 (馬車から機関車や自動車へ、帝国主義、近代戦争) も、彼らの作風には影響を及ぼさなかったようです。彼らはそれぞれライプツィヒ音楽院やベルリン音楽アカデミーで長きにわたって作曲の教授職にありました。ドイツ国内だけでなく欧州諸国や日本(滝廉太郎など)からも学生が集まるほど呼び声の高い学校ですから、ドイツの正統的な作曲法を世に広めるにはまさにうってつけの人材であったと言えます。英国から留学したヴォーン・ウィリアムスは、むしろそれを目の当たりにすることで英国人としての本質に目覚め、勉学の途中で帰国したという逸話があります。
ライネッケはシューマンやメンデルスゾーンをそのまま踏襲したような作風で、独創性に欠けるのが残念です。多作家で未発表曲も含めると千曲はあると言われています。三つの小品は1850年代に作られました。ブルッフの持ち味は東欧風の甘美でメランコリックな旋律。彼の名を有名にしたヴァイオリン協奏曲とスコットランド幻想曲や、晩年の1911~12年に作曲されたロマンスと二重協奏曲もすばりメロメロ旋律路線まっしぐらです。ブラームスが聴いたらさぞ羨ましがることでしょう。
生涯「古きを愛し続けた」彼らの音楽を当時の人々がどう受け止めたかは想像に難くありません。ただ、彼らが亡くなってから一世紀が経った今、彼らの音楽がいつ作られてどう評価されたかはもはや関係なく、美しい音楽は美しいのだ!